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投資の格言

 
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相場師列伝

ウォーレン・バフェット

1930年米国ネブラスカ州オマハで生まれる。コロンビア大学で博士号を取得バリュー投資の始祖ベンジャミングレアムの著作證券分析を読み感激しグレアムニューマン社で職を得るその後成長株投資パイオニアののヒィリップヒィッシャーに教えを乞い現在の投資スタイルを完成させる。1956年にグレアムニューマン社の顧客を引き継ぎバフェットパートナーシップを設立、この時ネブラスカ州で資金集めの手助けをしてくれたのが、バフェットの生涯の右腕、影の参謀チャーリー・マンガーである。のちに投資先がないとの理由にパートナーシップを解散。1964年繊維会社のバークシャーハサウェイを買収しその含み資産を元に次々と投資を行う。

バークシャーの投資利回りの平均はおよそ30%で初期に100万円投資すると現在は100億円程度になる。巧みな比喩と独自のユーモアで本質を突く天才的な能力の持ち主で1994年フォーブスが選ぶ世界一の富豪となるがのちにマイクロソフト社の経営者ビルゲイツに一位を抜かれる。現在バフェットはビルゲイツと親交を深めている。わずか一代で自動車会社のトヨタ以上の企業規模を誇るバークシャーハサウェイを築き上げた。バークシャーの本社は田舎町オマハにありテニスコートほどの大きさしかないうえ、社員は10数人しかいないという事実が彼の並々ならぬ合理性を象徴している。

ジョージ・ソロス

ユダヤ人として、1930年8月12日ハンガリーブタペストで産まれる。ナチス政権化迫害を受け、父親と共に身分照明を偽装して生き延びる、この体験がのちのちの独自の投資法と慈善家としてジョージソロスに多大な影響を与える。彼の考えた再帰性理論は現実が認識を変え、認識が現実を変える、お互いが影響を与え合うという理論を相場に当てはめ財を成した。

1969年にダブル・イーグル・ファンド1973年にソロスファンド、現在の名称はクオンタム・エンドウメント・ファンドを今をときめくジムロジャーズと共に設立。ソロスがトレーダーの役割でジムロジャーズがアナリストを務め10年間で4200%のパフォーマンスを上げた。イギリスのポンド危機、タイのバーツ危機で通貨を空売りし多大なリターンを上げ、政府関係者の激しい非難と共に投機家ジョージソロスとしての名声を得た。

ジム・ロジャーズ

1942年米国アラバマ州で生まれる。イェール大学卒業。27歳の時にソロスと共にダブル・イーグル・ファンドを設立、その後1973年にソロスファンド、現在の名称はクオンタム・エンドウメント・ファンドを設立。1970年代に彼の投資眼は原油と天然ガス、金の暴騰を予想そして的中。さらにその後の金の空売りで市場から大金を得る。ソロスファンドは10年間で4200%の利回りを上げる。ソロスと仲違いから37歳で引退し、世界を見る為に命知らずのバイク旅行の旅に出る。その時の著作大投資家ジム・ロジャーズ世界を行く」と「冒険投資家ジム・ロジャーズの世界大発見」は多くの国内投資家に親しまれジムロジャーズの日本での知名度は上がった。昨今の商品相場の強気をいち早く予言、それがまた彼の名が投資界に轟かせる結果となった。

遠藤四郎

1943年福島県浪江町に生まれる。福島県立双葉高校卒業後、投資を行なう側ら銀行マンとして20年間勤めあげる、その後司法書士・調査士・社労士の資格をとり独立開業する。含み資産に着目し低位株に対象を絞り投資するスタイルは、バリュー投資の先駆けといって良い。時代の先の先を行くパイオニアである。まったく0からの出発でバブル時の最大資産は80億円になるが、バブル崩壊と共に集中投資が裏目に出て一時は10億円程度の資産まで萎んでしまう。著作に「株でゼロから30億円稼いだ私の投資法」エール出版社がある。

是川銀蔵

1897年兵庫県に生まれる。高等小学校を卒業し神戸の貿易商で丁稚奉公をするが奉公先が倒産し勉強をする為ロンドンに向かうべく中国の大連に上陸したが第一次世界大戦の為ロンドン行きの切符は出ず、しかたなしに日本軍の後を追い青島守備軍司令部出入り御用達商人となる。その後孫文の革命軍に3万円を投資したが、革命軍は惨敗し投資は回収できず破産する。その後株式投資で100倍株を当て返り咲きを果たし、やがては兜町まで是川銀蔵の名は轟くまでになった。1992年9月に95歳で没。

是川銀蔵といえば投資手法が謎に包まれているがカメ三原則は有名である。
1.銘柄は水面下にある優良なものを選んでじっと待つ事
2.経済、相場の動きからは常に目を離さず自分で勉強する事
3.過大な思惑はせず、手持ちの資金の中で行動する

村上世彰

1959年大阪府生まれ、灘中学、灘高校卒、東大法学部を卒業。元通産省の在南アフリカ日本大使館一等書記官、通商産業研究所法令審査委員、通商政策局経済協力部アジア太平洋地域協力推進室課長補佐大阪APEC担当、生活産業局サービス産業企画官を歴任し、1999年にM&Aコンサルティング社を設立。

小学生の時、父親から小遣いはもうあげないとの条件に100万円を貰い、10歳から株式投資を始める。その時から日本経済新聞と会社四季報は愛読書だった。その後大学卒業後には資産が数億円ともいえる金額を株式市場から稼ぎ出した。彼のコアの部分の投資哲学は極めてオーソドックスで企業価値以下の株を買うというベンジャミングレアムの提唱した投資手法と徹底した西洋の合理主義的思想である。今でこそメジャーなバリュー投資であるが昔からその手法を取り入れる時代の先端を行く人物でもある。行動する株主として有名で昭栄、東京スタイル、ニッポン放送、タカラ、大阪証券取引所の株の買収で経営陣との激しい交渉で一躍有名となった。

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